
Chikara's room
はじめに
バージニア大学は、1819年にバージニア州のシャーロッツビルに創立された州立大学です。アメリカ合衆国建国の父であり、独立宣言の起草者で、また第3代大統領でもあるトーマス・ジェファーソンによって創立されました。ジェファーソンは生前自分の墓に「バージニア大学の父」という言葉を自分の3つの功績のひとつとして刻むことを頼むほど大学を誇りにしていたそうです。1987年にはモンティチェロとあわせて「シャーロッツビルのモンティチェロとバージニア大学」として世界遺産に登録されました。
シャーロッツビルは人口40,000人程度の小さな町です。東海岸の大都市に比べると華やかさはありませんが,穏やかな気候に恵まれた自然豊かな場所です。この町では,人はのんびりと過ごし,時間はゆっくりと流れ,穏やかな気分になります。少しばかりですが,この小さな町シャーロッツビルにあるバージニア大学での研究生活をお話ししたいと思います。
留学までの経緯
私は日本にいた頃,岐阜大学医学部生理学の森田啓之教授のラボで研究を行っていました。宇宙医学の研究,特に循環調節における前庭系の役割(前庭-動脈血圧反射)を調べていました。また,この反射と圧受容器反射の相互作用を調べるために,国立循環器病研究センターの川田徹先生から開ループを用いた実験を学んでいました。前庭-動脈血圧反射や圧受容器反射は「受容器-中枢-効果器」の反射弓を構成します。受容器は前庭器や圧受容器,効果器は動脈血管や心臓であり,入力として重力や頸動脈圧の変化,出力として交感神経活動や動脈血圧を用いることで反射弓のゲインを求めます。私はこれまでの研究で,動物の飼育環境の変化や病態により反射ゲインが変化することに非常に面白さを感じていました。しかし一方で,反射弓の途中経路である「中枢」を何とか調べることができないかとも考えていました。これまで中枢へのアプローチとしては,薬液のマイクロインジェクションや電気刺激が用いられてきました。しかし,中枢は様々な神経細胞が混在しているため,特異的な刺激を行うことが難しく,実験結果の解釈に困ることが多々あります。この問題に対して,ひとつの切り札となるのがオプトジェネティクスを用いた方法です。
私のラボの教授Patrice G. Guyenet(以下Patrice)は延髄領域におけるオプトジェネティクスの第一人者です。延髄領域のC1ニューロンやRTNニューロンに興奮性(チャネルロドプシン)や抑制性(アーキロドプシン)の光センサーを発現させて,循環中枢や呼吸中枢における各ニューロンの役割を調べています。私は彼の論文を読み,自分の次のステップはこの方法を用いる実験だと確信しました。すぐに彼に連絡を取り,自分の考えている実験を話したい旨を伝えました。バージニア大学でプレゼンをさせてもらい,すぐに2年間の留学許可をもらうことができました。また幸運なことに,日本学術振興会の海外特別研究員のフェローシップもいただけることになりました。研究課題名は「オプトジェネティクスを用いた中枢での圧受容器反射と化学受容器反射の相互作用解明」。この時は,まさか,実際の研究が圧受容器反射や化学受容器反射からかけ離れたものになるとは思ってもみませんでした。
研究生活
2014年4月,バージニア大学での研究生活が始まりました。ラボの構成は,教授,准教授,1人のポスドク,2人の大学院生,1人の技術員,そして私の計7人です。毎朝9時ころからラボは動き出し,夕方の5時ころには実験や仕事を終えます。土日は,実験が忙しい場合を除いて,ほとんど誰もラボに来ません。非常にのんびりとしたラボです。ラボは,大学院生やポスドクが電気生理や意識下での動物実験を行い,組織標本やin vitroの実験は准教授と技術員が行うようなスタイルです。また,毎週月曜日の9時から12時までラボミーティングがあります。そこで,各自が実験データを発表したり,Patriceから指示が出たりします。その他の特徴としては,若いグループでの飲み会が多いことです。ラボや近くのバーで飲みながら,実験についてのディスカッションをします。その時によく,私の英語の評価が下され,ビールを飲まされます。「今日のChikaraの英語は,TalkはB+,HearingはC-だなぁ。酒を飲んだらもっと良くなるんじゃない?」というような感じです。
4月,最初のラボミーティングで小さな事件は起こりました。私の研究課題「オプトジェネティクスを用いた中枢での圧受容器反射と化学受容器反射の相互作用解明」は諦めることになったのです。理由は,ポスドクが同じような研究を半年前から行っていたからです。この研究課題に対して,そのポスドクの手伝いを指示されました。代わりとして,Patriceから別の研究テーマの提案がありました。「呼吸調節における延髄セロトニン細胞の役割」です。延髄セロトニン細胞にチャネルロドプシンを発現させ,酸素や二酸化炭素の環境を変えたときに,光刺激による呼吸数の増加がどのように変化するかというような実験内容です。しかし,この実験もすぐに終了しました。延髄に注入するチャネルロドプシンのウイルス(AAV-DIO-ChR2)はきちんと働くのですが,受け手の動物のCre(ePet-Cre)がうまく働かなかったのです。いくつかの方法を試してみたのですが,うまくいく兆しがまったく見えなかったので9月頃には諦めました。
留学最初の半年は,周囲の人の実験を手伝う機会が多かったような気がします。ですから,「実験」というものに飢えることはありませんでした。しかし,自分自身の研究成果や研究ビジョンがなかなか見えない日が続いていたので,なんとなく途方に暮れてもいました。そんな中,手伝っていた実験の一つ「迷走神経電気刺激による急性腎不全の抑制効果」がうまくいき始めていました。急性腎不全を起こす前に迷走神経を電気刺激すると,虚血再灌流障害によるクレアチニンの増加が抑えられるという現象です。これは,Kevin J. Traceyらが提唱するcholinergic anti-inflammatory pathwayの応用で,我々はこのメカニズムを調べていました。私はこの頃から,神経という速いシステムと免疫という比較的遅いシステムのつながりに非常に興味を持ち始めました。私がシャーロッツビルでの留学生活を始める前に,PatriceのラボにいたStephen B. G. Abbottが延髄C1ニューロンの光刺激により迷走神経活動が増加するという論文を出しました。C1ニューロンの刺激は迷走神経だけではなく,交感神経やHPA axisの活性化などの可能性も考えられていたので,この論文をきっかけに,私はInflammatory reflexの観点から炎症時における延髄C1ニューロンの役割を探ることにしました。こうして,私の研究課題名は「オプトジェネティクスを用いた中枢での圧受容器反射と化学受容器反射の相互作用解明」から「オプトジェネティクスを用いた延髄C1ニューロン刺激による急性腎不全の抑制効果」に変わりました。
研究留学に大切なこと
これまでの研究を振り返って,私が研究生活を充実させるためにもっとも重要だと思う要素は「積極的に自分を売る」ことだと思います。常にアンテナを張って,「○○ラボの△△さんが□□の実験方法で悩んでいる」という情報をキャッチします。その情報の中で,自分の得意分野(私の場合は動物の手術)で手伝いができると判断した場合,積極的に「手伝おうか?」と自分を売りに行きます。「Give and Take」の「Give」を先にしておくのです。これが,アメリカという異国の土地に突然来た自分というものを知ってもらうために一番手っ取り早い方法ではないかと思います。また,この行動一つで共同研究が増えたり,のちの自分の実験で誰かの手伝いが必要な場合に交渉しやすくなっていたりするのも事実です。私の場合,2年間という留学期間が限られているので,実験のスピードを上げるために様々な人の協力が必要です。たくさんのGiveをしてきたことが功を奏してか,今ではたくさんの「Take」をもらっており,順調に研究が進んでいます。多くの人に感謝しながら,残りの留学生活を楽しみたいと思います。(2015年10月)